旅重ねのおきなわ - 金城昌太郎さん

どの出張にも、出張と銘打っているだけで、実は遊びに行っているんじゃないか、という疑惑がある。沖縄については、もはや疑惑ではない。

 

沖縄は来るたびに、新たな発見によって、その記憶に新しい色を重ねる。

 

20代の頃に日本民藝館でみた紅型の美しさに心打たれ、訪れた紅型工房があった。金城昌太郎さんの工房である。

 

沖縄のshoka:さんで一緒にワーペンウエフト沖縄を開催し、旅仲間でもあるヤンマ産業の山崎ナナさんが、紅型を見にいく所用があり、ある工房を訪問したのだが、金城さんの工房もお近くときき、突撃で再度お邪魔してみた。

 

20年前と変わらない風貌と穏やかな物腰。私の苦手なハブの話を熱心にしてくださったのを覚えていると伝えたら、アトリエの奥にハブが出たと実物大の画でご説明くださった。

 

 

20年前に、当時の自分としては大枚をはたいて金城さんの紅型を分けていただいた。古典柄ではなく、パターンになった赤瓦にデザインを感じた。

 

 

今回、そのデザインの背景に、人や自然に対する慈しみのこころから、たくさんのデッサンを手がけられていたことを知る。

 

 

古きを踏襲するのみならず、古きに倣って新しきことを手がけられる姿勢は、アジュラックにも通じる。アジュラックの方々の営みのお話をすると、熱心にきいてくださった。僭越ながら、当日私が使っていたアジュラック布を気に入られたので、プレゼントさせていただいた。

 


その話を、20年前に一緒に旅した友人に伝えたら、若かりし頃の私は、金城さんの竹笛の音に涙していたそうだ。

 

自分は覚えていないことで、また旅の記憶が濃く蘇った。

 

F

あわじを超えて- NISHI NISHI(高松)と遠近(徳島)

CALICOのTRAVEL REPORT2019は続く。


デリーに5日間だけ戻って、再び日本にとんぼ返り。あわじ島のうず潮に思いを馳せて、向かう先は、高松のNISHINISHIさんと徳島の遠近さん。夏に向かう今の季節にふさわしいベンガルの手紡ぎ・手織りコットン、通称カディーやジャムダニを中心にしたアイテムが揃う。

 

 

羽衣のようなラック染のジャケット。

 

徳島では、毎年恒例となっている藍染作家 森くみ子さんとのミーティング。

森さんが自主出版で上梓した藍に纏わる歴史の本。

「阿波藍のはなしー藍を通して見る日本史」
https://www.japanblue.info

 

これまでお会いするたびに伺ってきた貴重なお話しが纏められている。わたしなどには一度読んだだけでは理解ができない、至極濃い内容だが、日本の独自藍染の背景と、その歴史に思いを馳せる。

 

森さんが手がける藍染。澄みきった阿波藍のブルーは、その混じり気やキマグレ具合を武器(?)とするインドのものとはまた違う。

 

 

森さんのことはまたいつか詳しく書きたい。

 

F
 

 

春の名古屋 - sahan

はじめて桜の時期に開催する名古屋sahanさんのでのキヤリコ展。

 

年々、春に挿すピンクいろが増えています。

ピンクは、大人な女性を品よく華やかにします。

 


ハナミズキと sahan店主 安立さん。今年のテーマは、しろ とみました。

 

 

本年もお客様が朝から一度も途切れることなく、沢山お越し下さいました。ありがとうございました!

 

 

最後には、sahanさんが手がけるキヤリコのDMに作品をご提供下さる画家 湯浅景子氏も。

 


本年の湯浅景子氏 作品。
織機のような、楽器のような、何やら美しいものが生み出されそうな。

 

 

春を愛でながら、一路奈良へ。美しき日本。

 

 

F

 

TRAVEL REPORT 2019 - 東京fudoki

東京fudokiさんでの展示会。
初日から沢山の皆さまに、足をお運びいただいてありがとうございました。ギャラリー一階の、在本彌生さんの写真展「手仕事憧憬」に始まり、

 

 

今回は、fudokiさんの計らいで、逗子と沖縄を拠点にインドやネパールのステキなものを集められるchahatさん/シキヤリエさんのビーズアクセサリーや、キヤリコの生地を使ったヤンマ産業さんのお洋服なども同時に展示されています。

 

4/6、7には、そんな皆さんとのトークも。それぞれのインド体験、いつ聞いても楽しいものです。

 

 

桜が散ってしまった後かと思いきや、見事に残っていました。その色、散りゆく様に、すっかり酔いしれました。

 

 

恒例のIndian Canteen Ami 伊藤恵美さん、Samosawala Timokeさんのプレートも。在本彌生さん、恵美さん、Timokeさんとのインド合流を思い出す、芳しき味わいでした。

 

 


キヤリコのTRAVEL REPORT 2019。

この後は、名古屋sahanさんにお邪魔して、一度インドに戻った後、高松、徳島、沖縄(ヤンマ産業さんとの合同展)、鎌倉、大阪... と続きます。どうぞお楽しみに下さい。

 

F
 

春のイベント始まりました

まだまだ花冷えの続く日本列島。
桜や菜の花の、ピンクや黄色を目に焼き付け、あちこちから漂う沈丁花の薫りを楽しみながら、列島横断の旅を続けています。



先週は大分別府のスピカさんにお邪魔しました。昨年から2回目となる展示ですが、早くもリピーターの方がきてくださって嬉しかったです。スピカさんの展示は、4/23まで。(本日4/4はお休みです)



今週土曜日からは、東京板橋のgallery fudokiさんでの展示会もはじまります。4/6から13まで。本年はキヤリコのプロジェクトの現場にご一緒下さった写真家兼旅人 在本彌生さんの布と旅に纏わる撮り下ろし作品も展示いたします。


photo by Yayoi Arimoto 

また、gallery fudokiさんや私 小林も大好きなシキヤリエ cnr by chahatさんによるビーズアクセサリー、ヤンマ産業/山崎ナナさんによるCALICO布を使ったお洋服の展示もあるそうです

 

そんな皆さまとのお話会も4/6土、4/7日 の午後に予定されています。

料理人兼旅人 AmiTimoによる出張カフェもお楽しみに下さい。
4/6土 Samosa wala Timoke
4/7日 Indian canteen AMI

その後は4/10 名古屋sahanさんへと続きます。

また詳細はSNS等でもお伝えいたします。
各地で皆様とお会い出来るのを楽しみにしております。

 

F

デリーのアトリエ暮らし

こんにちは。まだまだ寒い日が続くデリーのアトリエです。

 

1月にデリーに戻って、早3週間。毎日のように、インドの仕事の仲間、友人、日本から海外からの来客を迎え、アトリエというより俄かにサロンのような1月の我が家でした。

 

海外の友人の多くは、2年前のインディゴスートラで出会った布に関わる仲間たち。他にも若いデザイナーさんが何人か。日本の某デザイナーさんたちも。

 

 

 

 


それぞれの地での活動にこころと耳を傾け、また、インスピレーションや示唆を得て、楽しく有難い時間でした!

 

もちろん、仕事もしていますよ。

 

いつも勢いだけで生産エリアを飛び回ってしまい、準備不足を感じることが多かったので、今年からはモードを切りかえて、コンセプトをしっかり温め、入念に準備も行なってから出向くつもりです。(今頃?)

 

が、飛び出したくて、ウズウズ。

 

いろいろ進め方が確立してきて、リモートで現地に入る日までに、いろんな準備を双方から進めていけるようになったのも有難いこと。遠征出発までにデリーの仕事が終わらないのですが、今度は遠征先からデリーのチームとリモートで動きます。

 

それを可能にするのは、インドという大きな土地に速やかに浸透した携帯電話と、主にwhatsapp(日本でいうLINEのようなサービス)。テクノロジーの普及もまた、現代の村の生活を成り立たせるのに欠かせない要素なのです。感謝。

 

F

ゆがふ2019 @童仙房

京都南山城村童仙房で開催された2日間のゆがふ 新年初売りイベント。

 

 

ヤンマ産業の山崎ナナさんの入村と新年を祝う今回の会では、雪がちらつく中、遥々遠方から、また、お近くから沢山の方にお越しいただき、布を愛でながらの新年の語らいを楽しませていただきました。厚く御礼申し上げます。

 

 

 

お料理やお菓子でもてなして下さった清水家の皆様、kitchenworksさん、デルベアさん、月とピエロさん、ふじおさんもどうもありがとうございました。

 

 

 

 

皆さまのお陰でCALICOにとっても素晴らしい2019年の幕開けとなりました。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

F

2019 あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

 

年末は久々にのんびりと過ごし、漸くここ数年手がけたもののサンプルや資料などを少し整理しました。

 

インドで何日もかけて取り組んでいたのに、時間切れで日本に持ち帰ったら最後、悩んだままそのままになっているデザインを発見したり、ふと謎のハギレを見つけて、はて、何だったかしらと思っては手を止めたり・・・

 

 

また、お客様からいただいた様々な温かいお手紙、叱咤激励のお手紙などを読み返し、お会いしてすぐに筆をとってくださった皆様の細やかさに感謝し、自身の筆不精を反省しました。思い返すと、お返事が全くできなかった時期があったなと・・・この場をお借りしてお詫びいたします。

 

改めて、インドで職人さんのお仕事を目の前にしてドキドキする気持ちや、それを最高の形にしていろんな方に知ってほしいという気持ち、それを待っていて下さるお客様のご期待などを感じ、CALICOのこれまでとこれからをゆっくり発酵させていくいきたいと思いました。


やっぱりこういう後方作業、大事ですね。

いえ、こういう気持ちこそが、実はデザインのフロントなのかもとも。

 

そして、これまで常に前に進むばかりの活動で、そこで起きている数多の素晴らしいことを、きちんとイメージやテキストでお伝えしきれていないことをもどかしく感じてきましたが、blogなども復活させて、もっとヴィヴィッドに、インドの手仕事の今をお届けできたらと思います。

 

それでは、本年もインドと日本の各地で皆様にお会いできるのを楽しみにしています。

 

 

小林史恵

手紡ぎ糸の村 カディはただの道楽にあらず

手紡ぎ糸の村のシリーズの続きです。

 

ベンガルの女性たちは、粘り強く、よく働きます。家族を送り出した朝10時くらいから、インドのランチタイムである2時くらいまで、手紡ぎ糸のセンターにやってきて、短期集中で働き、その後家に帰った後は、家事や夕食の支度をしています。

 

 

北の女性が働き者でないという意味ではありませんが、多くの北インドの村は、イスラム社会の影響が強いためか封建的で、働くのは男性、女性は家のなかにいるべきと考えられていることが多く、なかなか就業機会や外の世界の接点に恵まれずにいます。それはそれで(DVなど)いろんな問題があるのですが、経済的には守られているともいえます。

 

また、北インドに限らず、インドの多くの州では、政策(公共事業や企業誘致)などによって男性には仕事が与えられ、出稼ぎなどしながらも働ける環境が整備されていますが、それに比べると、ベンガルは、バングラデシュからの移民が多く、州政府もうまく対策できていないため、慢性的に雇用の供給が過多です。

 

そうした背景もあってか、男性があまり働かない、いえ、働くことができないようです。また北インドに比べると、女性が、比較的開放されていて、結構切り盛りしています。そのためか、男性は働きもせず、離婚もせず、ふらっとどこか他所の土地に行ったまま帰ってこないようなケースも多く、女性はどこかで常に自立を意識しているような気がします。

 

特にわたしたちが訪れた手紡ぎ糸の村は、ムスリムのコミュニティ出身の女性が多く、ヒンドゥー教の強い西ベンガル州において、一層職業機会に乏しく、経済的理由から家族が離れ離れになり、先に述べたように、旦那さんがそのまま戻ってこないケースが後を絶たないそうです。

 

こちらのムスリム・コミュニティ出身の彼女も、家で頼るべき人が失踪してしまい、日々手紡ぎの仕事をすることで、2人の子供を食べさせています。

 

 

特に、女児を抱えている親は、女児が年頃になると、ダウリ―という持参金を準備して、なるべく裕福な家に嫁がせないといけないという意識が強いです。こうして一生懸命稼いだお金を、子供の教育に使うのではなく、決してその子どもの幸せが保証されているわけでもないダウリ―に使う、ということには大きな疑問を感じますが・・・・。


貧しいベンガルの村においては、ダウリ―を用意できる親はむしろ幸せで、将来ダウリ―を用意できないと絶望し、家族が食べていくためには女児を売春宿に売るしかないと思う親も多いのです。事実、西ベンガルの州都コルカタにはアジア最大の売春街があり、そうした売春組織への仲介システムは村々に存在しています。


そうした生産の背景にあることをいろいろ考えると、特別な技術がなくても多くの村の女性が関われる仕事をつくること、アンバーチャルカで手紡ぎの糸をつくり続けること、そして、私たちが都市においてカディを使い、纏い続けることは、カディの風合いがいかにいいか素晴らしいか贅沢かというような、都市生活者の道楽や酔狂に付き合い消費されるだけでは決してない、私たちの日常の想像をはるかに超える尊い意味合いをもっています。

 

 

F

手紡ぎ糸の村 アンバーチャルカは手紡ぎといえるのか

昨日ご紹介したアンバーチャルカ。お読みになった方によっては、「ガンジーチャルカじゃないなんて本当の手紡ぎじゃない。」「手紡ぎといってだましているみたいだ。」いろんな感想をお持ちでしょう。

 


でも手紡ぎってなんでしょう。なんのための手紡ぎであり、カディなのでしょうか。

私自身は、ガンジーが独立運動のころに、シングルチャルカ(ガンジーチャルカ)を普及させたのと同じように、現代においては、アンバーチャルカが実用性・効率性から普及されるべきと思っており、その役割を以下のように理解しています。

ひとつは、生産効率が高まることで、関わる人が食べていけるような仕組みになること。一回転でコーンが6つ〜8つ作れるようになることと、手ではなく機械圧縮による押し出しで糸を撚ることにより、シングルチャルカの何倍もの効率で糸を作れるようになります。それはすなわち、出来高で支払われる彼女たちにとって、お給料が増えることを意味します。

 

 

また、均一な仕上げのために、ある一定水準の技術・技量が要求されたシングルチャルカに比べると、アンバーチャルカはだれでもが一定品質で糸を作れます。(もちろんアンバーチャルカも技術を要しますが。)それは農村での就業機会が増えることを意味します。

 

40カウントの太糸を紡ぐ女性。

 

また、私たちにとって、カディ糸を安定的に一定の基準で作れることは、生地品質の安定を意味します。このようにしてつくられたカディ糸は、緯糸だけでなく縦糸としても使うことができます。(日本に普及している手紡ぎ・手織りカディは、緯糸のみ手紡ぎでカディと呼ばれているものものが多いですが、CALICOのカディはほとんどのものが、縦糸も緯糸も手紡ぎです。)シングルチャルカはその姿としてもとても美しいものではありますが、それだけで上述にあるようなすべてを実現することは遠い理想になりつつあります。

 

しかし、今回の訪問で最も衝撃的だったのは、最近モーターを取り付けたアンバーチャルカが、村の個人企業の中で普及しだしているとのこと。それはもはや手紡ぎではないと私ですら思うのですが、関わる女性たち(糸も手回しに比べると切れにくいのですが、切れたら直すために配置されている)の収入がまた手回しの倍になることを考えると、誰もその流れを否定することはできません。ソーラーパネルをつけたソーラーチャルカというものでてきています。とてもいいことだと思います。

 

とうとう、出会ってしまった。電動アンバーチャルカ。

でもどうやらうちではほとんど使うことのない、太糸しかできない様子。(ホッ)

 

 

ガンジーチャルカがアンバーチャルカに置き換わった変化に比べると、手回しと電動に、どれほどの違いがあるのか。悩ましいところです。ただ、それを手紡ぎと偽って市場に出してしまうと、アンバーチャルカを導入しても尚、保たれてきた手紡ぎ・手織りカディの価値そのものが、市場での信頼を失うことになりかねないかと危惧します。

(つづく)

 

F

手紡ぎ糸の村 アンバーチャルカの村へ

約2か月ぶりのベンガルは、すっかり春らしく、温かな陽気に包まれていました。
今回は、カディの生産パートナーと一緒に、久々にカディ用の手紡ぎ糸をつくっているベンガル北部の村(ムルシダバード近郊)まで足を運びました。


インドで一番最初に建設された駅といわれるKOLKATAのSEALDAH駅から、電車に揺られること4時間。早朝から飛行機に乗り、KOLKATAでしっかりミーティングをしてから電車に乗り込んだからか、電車旅の前半は疲れて、爆睡。何も思い出せません。時折、食べ物や飲み物を売りにくるひとに小突かれたり、美味しそうな匂いで臭覚を刺激された気がしますが・・・

 

列車の定番スナック ジャラムリ。

次々と見事な手つきで、お米のパフにマサラやココナッツを入れ、〆にはマスタードオイルをサラッとかけます。

 

 

車内パトロールする小さなギャングたち。

 

目的地到着は夜中の11時頃。

そのままホテルに直行して泊まり、翌朝車で約1時間離れた村に向かいました。


前回訪問したのは、約2年前。そのときにたくさん写真やビデオを撮ったのですが、直後にパソコンを壊してしまい、すでに資料に取り込んでいた何枚かを除いてすべて失ってしまったのです。その悔しさもあって、今回はたくさんの生産の様子をカメラに収めてきました。 (ちなみに今もパソコンが半壊しておりますが、今回はCloudサービスがあるので大丈夫なはず。便利な世の中です。)


手紡ぎ糸をつくっている工房の様子。前回訪問時よりも、手紡ぎを担当する女性の数が増えており、こちらでは現在約300名が登録しています。

 

 

以前にもご紹介の通り、現在CALICOで作っているカディは、最もシンプルで原始的な糸紡ぎの道具タクリ(スピンドル)や、ガンジーがインド独立のシンボルとして広く普及したといわれるシングルチャルカ(俗称 ガンジーチャルカ)ではなく、10年ほど前から広まったアンバーチャルカといわれる一段機械化が進み、生産性が高まったチャルカを使って紡いだ糸を使っています。

 

 

 

アンバーチャルカは、ひとの手による回転を動力に、ネジで鉄のプレスの圧力を調節して糸を撚り、6本、7本、8本のコーンを一度につくれるようになっています。ひとの力が加わることで、糸に揺らぎが加わる仕掛けです。そのため、原始的な糸紡ぎと同様に糸も切れやすく、切れては直し、その直した箇所に味わい深いネップができるようになっています。

 

写真は切れた糸を撚ってつなげている様子。


次回は、そんなアンバーチャルカを使う意義について触れたいと思います。

(つづく)


F

再びのカッチへ 染めのお話

アジュラックプールの続きです。

 

今回の目的は3つありました。

ひとつは、無地の色染め。藍色は、うちで扱っているMAKU TEXTILESやLIVING BLUEの藍染シリーズがあり、パートナーの彼らも私たちのシリーズを染めてくれるので、特に新しく力を入れていく予定はなかったのですが、それ以外の色、とくにインドらしい、そして大人っぽい赤がほしいとずっと思っていたのでした。また、お洋服や小物に取り入れたい、繊細な柄のブロックプリント。こちらはすでにたくさん工房で抱えている柄の中から、いろいろ遊べたら楽しいなとも。


そして、最後に古渡更紗シリーズ。こちらは急がないものの、また新たにグジャラートでブロックを作るということなら、ステキな柄に取り組みたい・・・。のですが、私が好きな、ゴマ手などの柄は実はほとんど手描きの更紗ということが分かり、さてどうしたものかと考え中。

 

ひとまず今回は、無地の色染めと、工房にあるブロックをつかって、インディゴxピンク(インド茜)、グレー(鉄)xベージュ(ミロバラン+鉄)、赤(アリザリン・・西洋茜の合成)x黄色(ザクロ+ターメリック)など、赤と青を基調とするアジュラック染めの中で、敢えてそれを外すことに挑戦しようかと思っています。完成は、2か月後といっているので、おそらく・・・実際に手元にくるのは半年後くらいでしょうか。(春夏のイベントには間にあわず、おそらく秋にお目見えです。)


ところで、伝統的な技法で染織をやっている彼らですが、染料全てが天然染料というわけではありません。

 

それぞれ合成藍(ピュアインディゴ)、アリザリンという、西洋茜の成分を合成した染料を長年使っています。(アリザリンは、アラビア語の搾り汁という意味の言葉に由来)定着効率のよさ、とくにアリザリンはその鮮やかな発色でよく売れるらしく、19世紀から頻繁に使われ出して、いまやアジュラックプールの伝統的な布に欠かせない色のひとつになっています。


アリザリン染めのブロックプリント生地。

 

 

天然染めの意義が、その自然な発色の美しさ、そして薬効性だとすれば、西洋医学に由来する合成染料もまた、西洋の薬品と同じように、その効能・エッセンスを凝縮したものといえなくはありません。水などの資源をあまりつかわないので、自然にやさしいといっているひともいますが、それはよくわかりません。でも効率的に染められる=染料代が安くなるので、お客さんが求める価格で染生地を提供できるというメリットが一番大きいのではないかと思います。

一方で、蘇芳やラックなどによる赤色の染めもできなくはないようです。特に機織り職人が、糸染めをするときはラックを使うことが多いそうです。ちなみに、濃い赤色ではないですが、オレンジがかった赤・ピンク色を発するインド茜は、今もこの地方でよく染められています。


インディゴと、ほんのりピンク色に染められたインド茜。

 

色の見本。左上2つは、インド茜。右上2つはアリザリン+鉄、右上から3つ目はアリザリン。その他、ミロバラン、ターメリック、鉄を薄く染めたもの。

 

私たちがよく訪れるバングラデシュでは、緑も豊かで、様々な種類の植物染めが可能ですが、ここ砂漠地帯のグジャラートは、植生も異なり、回りにある資源を最大限使い、いろいろ工夫した上で色を実現しているように思います。その中で、濃淡を出すのに、くず鉄の役割は大きいようです。くず鉄のお話にはまた後で触れたいと思います。
(つづく)

 

F

再びのカッチへ アジュラックプール

カッチに赴く前に、Khatriを紹介してくれたブロックプリントのパートナーに相談。

なぜなら、カッチから帰ってきたら、ミニマムをギャランティーしないと仕事できないといってきたのです。 まあ、当然といえば当然のこと。

 

どこの世界でも、生産にはミニマム、つまり、最低ボリューム保証という言葉がついてきます。そして、私たちも趣味的にちょこちょこ好きなものだけを気まぐれにつくるつもりは毛頭なく、生産活動がきちんとまわり、販売を継続するための市場をつくり、将来につながるような規模と仕組みにしていきたい、というキモチは人一倍強いのです。しかし・・・ミニマムが大きすぎるのは、現実問題として困ります。

 

ところが、Khatriを紹介してくれたブロックプリントのパートナーはその話を一笑。

彼らは、自分たちが大きい仕事をしている人間だとあなたに思われたいだけだよ、と。行ってみて、顔を見て話したら大丈夫と言われたのでした。そして、実際、再び訪れて、向き合って話したら、小規模からでも応じてくれたのでした。(もちろん、先々に魅力的なプランがあってのことですが。)

 

今回驚いたのは、みなが朝早くから働いているということ。


5時には起きて、7時にはフル稼働しているというのです。一方の私は、デリーのインド人のペースで朝遅めに仕事をはじめ、夕方には少し暇になるのだろうと思って、ホテルで他の仕事を済まして、16時くらいに工房を訪れたのでした。ところが、朝早くから働いている彼らは、もう店じまいの準備・・・。


そこで、次の日は早朝7時に訪れるべく、朝日がまぶしい中、ホテルからオートで約40分のところにある村に向かいました。


 

朝の工房

 

(つづく)


再びのカッチへ 職人気質

慌ただしさにかまけて、ブログの更新がすっかり滞っていました。


前回の訪問記録もちゃんと上げられておらず、その当時の記憶がどんどん遠ざかる今、いろんなところで分けていただいた貴重なお話や体験を記録しておきたいと強く思い、再びBlogを再開します。インドで日々もたらされる新しい体験の数々・・・。インスタグラムやフェースブックでは伝えきれないことも、たくさんありますから!


2月某日、半年ぶりのグラジャート、カッチへ。カッチ一帯には、パキスタン・インドの伝統的な染織を復活させ、今に伝える職人集団 Khatriが、それぞれの一族ごとに居を構えています。


CALICOは、北インドでブロックプリントを少しやっていますが、ブロックプリントのパートナーにやりたいことを伝えると、それはカッチに行ったほうがいいと、とあるKhatriさんを紹介されたのでした。

 

前回去年の8月に訪問した際には、うちでつくった古渡更紗文様のブロックをつかって、ミロバランに浸した綿生地に合成藍やアリザリンで押してもらいました。ただ、UP州で作ってもらったブロックは、染料を押し出す溝のない、化学染料向けのもので、カッチのブロックプリントの染料とはあまり相性がよくなく、染料がブロックにたくさん残って柄がぼやけてしまう結果に。

 

 

イチゴ手のブロック。


本来は、化学染め用のブロック。化学染めで捺したらこんなに綺麗だったのですが・・・。


「こんなブロックではおいら仕事しねえぞ」と、いってくれた?職人さんもいました。なんでも割と適当にものごとが進み、それがときにいろんな問題を生むインドで、こんないわゆる職人気質の職人さんに出会うことは滅多にありません!・・なぜかここでうちの仕事をしてもらえたら、と強く思うようになりました。


そして、私が持参した日本の染織の本に興味シンシン。シボリ職人を父にもつ奥さんと一緒に、1ページ、1ページ、写真にとっていきます。この本をこの後、バングラデシュにもっていかないといけなかった私は、今度くるときは、同じ本をもってきてプレゼントすると約束をして別れたのでした。

 


 
そして、半年後の今回。同じ本と新しいデザインの案をいくつかを携えて、再びカッチに赴いたのでした。

(つづく)

 

F

バングラデシュ ジャムダニサリーとモスリン

バングラデシュ篇 第4回目です。

そもそも、なぜ”インド布のCALICO”が、バングラデシュにいるのかと不思議に思われるかもしれません。・・・そう、CALICOは、インドという国の生地を扱うのではなく、広くインド大陸に伝わる布を扱っているんです!

 

バングラデシュは地図でみると、インド大陸の中、西ベンガルの真隣にあります。大戦中、独立運動が一番盛んだったベンガルは、インドの弱体化を狙ういろんな国・宗教的立場の意図で別れてしまったのです。元々東ベンガル、今のバングラデシュは、CALICOが足繁く通うインドの西ベンガル州と同じ風土・文化を分け合う土地でした。

 

 

西ベンガルと同じように、いえそれ以上に、手織物や手仕事布の文化は深く、特にダッカ、タンガイルといった場所は、西ベンガルの多くのジャムダニサリーが、ダカイジャムダニ(ダッカのジャムダニ)、タンガイルサリーとも呼ばれるように、ジャムダニの元々のルーツと考えられています。西ベンガルでジャムダニを織っている職人さんの多くはダッカやタンガイルにいたヒンドゥー教徒で東ベンガルがイスラムの色を強めた今から100年に移住してきたのでした。

 

今回は、LIVING BLUEの生産現場Rangpurにいく途中、運よくタンガイルに寄ることができました。西ベンガルでみるタンガイルと比べると、デザインがイスラム的でとても新鮮でステキでした。総柄も多いです。ジャムダニも西ベンガルよりもたくさんの数が流通しており、私たちがよくジャムダニと信じているものは、殆どダッカを起源とするものだと判りました。

 

 

飛び杼を使ってタンガイルサリーを織っているところです。実物をみたのは初めてです。

 

パンチカードがゆっくり繰られていきます。


 
ところで、ダッカいえばモスリン(とても上質で織りが細かいコットン布)なのですが、どこを訪ねてもなかなかモスリンは出てきません。ダッカの有名なサリー街で10軒ほど回りましたが、10軒ともモスリンというとシルクがでてきます。かつてのモスリンに代わるものは、シルクになってしまったのでしょうか。

 

かつてバングラデシュで栽培されていたモスリン綿自体が生産されておらず、かつての品質のものはもはや存在しないということのようです。(コットンヤーンはパキスタンから、シルクヤーンはインドや中国から輸入しているものが多いそうです。)

西ベンガルで流通している現代版モスリンには、300カウントや400カウントのものもありますが、以前と同じモスリン綿ではなく現在でできうる最善のものということだそう。

 

世界で最上と言われたモスリン。ダッカが世界の縫製工場となって久しいですが、土地由来の伝統布についても、今後現地の方々と一緒に取り組んでいけたらいいなと思っております。

 

F