グジャラートの旅

ベンガルの村から一転、まったく正反対の西へ飛行機で2時間半かけて着いたのはパキスタンと国境を接するグジャラート州のアーメダバードという街。ガンディーの出身地でもありインド繊維産業発祥の地とも言えるこの地でボンベイ(現ムンバイ)に並び多くの紡績工場が建てられ、綿布の通称であった「キャリコ」が海を渡超えて世界中に渡っていったのです。


布が好きな人、布に関わる仕事に携わっている人であればぜひ一度は訪れて欲しい場所。館内が撮影禁止で写真をお見せできないのが残念!!

 



布をめぐる旅では外すことのできない“ キャリコ博物館 ”はほかの地では見ることの出来ない古くからアラビア海交易によって富を得た藩王や貴族のコレクションやなどインド国中の国宝に値するテキスタイルの数々を見ることができるとっておきの場所なのです。


私設の博物館なので規模は決して大きくはないものの古い貴族の邸宅ハヴェリを移築した趣のある外観と緑に囲まれた敷地も素敵ですが、300年以上を遡るコレクションピースそのひとつひとつがためいきが出るくらい素晴らしい手仕事によるもので学芸員の女性が丁寧に説明してくれます。


限られた時間内でのツアーは名残惜しく何度でも訪れたいと後ろ髪を引かれる思いで博物館をあとにしたのでした。


他にもル・コルビジュエが手がけた繊維会館や有名なデザイナーを輩出しているインド屈指のテキスタイル学科があるNID(National Institute of Design)へ訪問したほかアーメダバードの旧市街をめぐるヘリテージナイトツアーなどなど短い時間でしたが大満喫!!

 

 

じつはおまけがあって、帰りしな学芸員さんがこっそり教えてくれた市街地にあるというアートブックセンターなるものに行ってみたところ...世界中のテキスタイルとアートの本が四方天井までぎっしりの本屋さんで何時間いてもあきない...困った!

悩みに悩んで購入したのがこちら↓

『古渡り更紗』。やはり知りたくなるのは日本とインドを渡った布のこと。どんなに遠くても時間を作って足を使って一流のものを見る時間は必要と再認識、過去の偉人達の技に刺激を受けたアーメダバード旅でした。

 

Y

 

ベンガルの旅

少し肌寒くなってきた11月の中旬。デリーで開催されたJapan Monthの合間に、コルカタといつもの村に行ってきました。

 

今回の目的は、今オーダーしている生地がきちんとできてきているか確認することと、春に向けて新しい生地サンプルをつくリ出すこと、私たちと同じように村の布を愛し、クリエーションしているインド人のデザイナー仲間に会いにいくこと、そしてCALICOのモデルをしてくれているアーティスト松井香楠子ちゃんのインドでの初の個展(@Weavers Studio)をみにいくことでした。これまたモリダクサンな旅となりました。


複雑なデニムのカディーコットン生地を、やさしい風合いに仕立て上げて下さるのは熟練した織人さんの手。


オリッサ州のオレンジガムチャにインスパイアされた色と、定番のブルーx白です。デニムの常識を変える、ふんわりしたやわらかさです。こちらはタオルやインテリアリネンとして日本にご紹介の予定です。お洋服も少しつくるかもしれません。


屋根から垂れ下がる織りパターンの冊。

 

熟練した織人さんはパターンをみて、柄が思い浮かぶそうです。ITのプログラマーみたいですね。これを設計する工程、縦糸、緯糸とは別の糸を織り機に組み込む工程・・・インドでITが発達したのもこの辺りに何か理由があるのかもしれません。

 

そして、今回の何よりの収穫は、ベンガルを拠点にするデザイナー仲間との出会い。CALICOのfacebookをみて、問い合わせてくれたのです!それはそれは繊細で素晴らしいものをつくっていて、私たち自身がとりこになりました。


作家性やデザイン性よりも布の豊かさや産業持続性に焦点を合わせた活動姿勢や、活動がまだ駆け出しというところでも少し似ている私たちは(彼らは私たちよりもずいぶん若いということはさておいて・・・笑)、お互いがインドと日本で少しずつ助け合っていこうということになりました。

 

またそのうち、私たちのコラボレーションをちょっとずつご紹介できればと思います。

 

F

 

カンタ刺繍の村 Krishna Kisor家

久々のカンタ刺繍の村。

 

秋晴れの中、コルカタから電車で3時間、車で2時間かけて訪れました。電車の中は、ガムチャ売りのおじさんに、ハーモニウム(リード・オルガン)を弾くおじさん。哀愁たっぷりで、ベンガルにいるって気にさせられます。

 


道中はいろんなアニマルたちとすれ違います。小さなヤギや犬が道路で立ち往生していることもしばしば。この辺りの運転手は動じることなく上手に除けていきます。

 


カンタの村といっても、カンタ(刺繍)だけでありません。生地そのものを織るために、生糸をひっぱり(写真奥)、繰るところから村の中でやっています。


彩色を施す人も。今回であったビューティたち。


もはや、神秘です。


 

 

村の中で布への彩色や刺繍を手掛ける工房をやっているKrishnaさん一家。


彼は元々刺繍などを教える学校の先生でした。彼のデザインしたものも多いです。村の若者中心に、22人もの人が彼の家で働いています。今回は、日本でカンタ刺繍を扱いだしたわたしたちが、これまで日本のお客様たちからいただいてきたさまざまなリクエストや期待を彼らに託してきました。


ただ、これまでも同じように託してきたのですが、時間がかかるうえ、作り手さんたちがそれぞれ作りたいものがあって思った通りにいかないことが多いのも事実。作りたいものを作るからこそ、あのチクチクの根気に耐え、素晴らしいものに仕上がるとも思います。実際、わたしたちが頼むもの以上に、涙を流したいすばらしいデザインが本当にたくさんあります。


彼らが伝統的にやってきていること、創意工夫でやってきていることと、人々がほしいと思っているもの(サイズやクオリティ、ちょっとしたテイストや趣向など)の交差点で、一緒に新しいアートプロダクツを生みだしていけたらステキだなあと思っています。


何か月か先には日本の皆様のお手元にも届くと思います。お楽しみに!


F

新しい織人さん

インド全土で430万人いるといわれる織人さん。

 

世界的にみても圧倒的な数なのですが、そんなインドにおいてさえ、都会に近い村からどんどん若者が町に出てしまい、後継者が減っていくのが悩みの種です。都会にいい仕事があればいいですが、西ベンガル州はそもそも開発が遅れている上、バングラデシュからの移民も多く、労働力は供給過多の状態。都会で生きるのも簡単ではありません。


わたしたちのパートナーやソサエティ(地域の共同組合)は、織人さんの暮らしを維持し、産業を育成するために、工賃の見直しをしたり、ローンの制度を整備したり、研修プログラムを設けたり、販売・マーケティングを支援したりと様々な取り組みを行ってきています。


そんな努力の甲斐もあり、産業革命以降下降の一途を辿っていた手織物産業の規模は、なんと2004年以降少しずつ回復しています。近頃はカディーの村でも、織人のカーストではない若者が、織人さんになりたくてやってきてくることもあるそうです。

 

Sushant Kunduさんは、23歳。数年前から村に通うようになり、村で織機を借りて織る仕事をはじめました。小屋には大体ひとり、名人級の織人さんがいて、彼からいろんな技術や智恵を伝授されるそうです。

 

 

織人さんの工賃は月に大体4,000ルピーから5,000ルピー。決して高くありませんが、家族のいる村の近くで働けること、町での日雇いなどと違って将来は安心できるなどのメリットがあります。


彼は、「この仕事がスキだ。続けていきたい。」といっています。


わたしたちCALICOは、サリーをつくってきた織人さんたちと、彼らの手紡ぎ・手織りの技術を駆使してステキな製品を新しく生み出し、日本や他の国に送り届けることで村の産業が継続するように、そして、それらの商品を心から喜ぶ人々がいると伝えていくことで、その仕事に誇りをもってもらえるようにと願い活動をしています。


F

 

エアリーの村

わたしたちのカディーを織っている村へ。素晴らしい秋晴れ(でもまだかなり暑い・・・)でしたが、大雨が続いたためか道が凸凹で、今回はコルカタから車で往復10時間くらいかかってしまいました。

 

 

 

村は緑が多く、木洩れ日の美しい小路が続きます。パタンパタン、カタンカタンという機織りの音と、たくさんの子供たちに囲まれます。

 

 

 

緯糸カディーのエアリーストールを織ってくれた職人さんのひとり、Jay Devpalさん。


この道35年のベテランで、難しい仕事はだいたい彼のところにくるそうです。上半身ハダカでルンギとガムチャだけを纏う職人さんが多い中、シャツにメガネのインテリ風情です。わたしたちのエアリーをもって記念撮影。「エアリーがとても好評なんです。ありがとうございます」と伝えたら、恥ずかしそうながらもとても喜んでくれました。


新しい織りを進めるJayさん。

 

Jayさんは同じ小屋で働く他の若い織人さんたちにもその技術を伝えています。


F

 

感謝の祈りをささげる

コルカタに来ています。


今日はVishwakarma(ヴィシュワカルマ)というあらゆる道具や機械をつかさどる神様に祈りを捧げる日です。

 


オフィシャルにはお休みではありませんが、工場内には祭壇が設けられ色とりどりの花々に果実、野菜が備えられ、祭事を取り仕切る僧侶を呼びプージャ(祈りの儀式)が執り行われます。

 

 

道具であるハサミ、定規、針、機械であるミシン、アイロンとありとあらゆるモノに感謝の祈りと花を捧げます。

 

 

こういった仕事に携わる人々はイスラム教の人が多いと聞いていたのでヒンドゥ教の神さまに人々が集うことにふと疑問が生じましたが、同じ土地に長きに渡り受け継がれた仕事は宗教の壁を越えたところでこのようなカタチで今に至っているあたり、インドが多民族国家であることを改めて認識しました。


そして祭壇の前にはベンガル布の代表的な手ぬぐい“ガムチャ”が鎮座しているのでした。

 

 

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西ベンガルの村々とカディー

インドの手紡ぎ・手織りのコットン布をカディーといい、その薄い風合い、着心地の良さから、世界中で根強いファンの方がいますが、この暑さで日本のファンの方もじわじわ増えているような気もします。

 

私たちは、カディーの中でも西ベンガル州で織られている薄くて繊細な生地をとても気に入って、現地のソサエティ(村単位での生産団体)をネットワークで結び、販売・マーケティングを支援する現地パートナーと一緒に、デザイン企画・生産を行っています。


私たちも月に1回ほど西ベンガルに行きますが、村々を回るのは本当に大変です。私たちの現地パートナーは、コルカタから3時間近く電車に乗って、2時間近く車に乗って、中々あかない踏切を待って、飛び出す牛やアヒルの群れを除け、、、漸く村に辿り着きます。彼らは、そんな村々を繰り返し訪問し、オーダー内容をしっかり伝えて、再び村村からサンプルを集めて、また訪れて、冠婚葬祭やお祭りや病気や雨で、スケジュール通り進まないのが常の生産の進捗の様子をみて、製品を回収します。


ときには、織人さんの健康状態や経済状態を気遣い、オーダーを少なくしたり、多くしたり。複雑な織りが得意な織人さんがいる村や、新しいデザインにチャレンジしたがる織人さんがいる村もあります。私たちとの企画を固めたら、彼らはそのオーダーをベストな村に詫します。


彼らの頭の中には、完全に西ベンガルの機織り村の地図ができあがっているのです。そして後継者層の分布も。これは一番難しいテーマでもあります。この話はおいおいまたお伝えさせていただきます。


写真は、出来上がってきたカディー。きれいなオフホワイトとインディゴのストライプ(左側)から、土臭さが残るアイボリーとインディゴのストライプ(右側)まで。


糸を準備し、染めるのも、織るのも、集中化されておらず、村々でやっているので、同じオーダーの製品も色や柄にもばらつきがでることもしばしばです。センターをつくると、均一化でき、品質は向上するかもしれませんが、今まで村の中だからこそ家から通いながら続けられた女性たちのシゴトがなくなってしまう可能性もあります。


手織り布にまつわるシゴトは原則村の中で、というのが、「チャルカは村という太陽系における太陽だ。チャルカが回っていると、村にさまざまなシゴト(手紡ぎや整経、染め、織り、洗いなど)がもたらされる」といっていたガンジーさんの教えそのものなのです。


そんなわけで、私たちのお届けする布は、ひとつひとつ、少しずつ色や柄が違うこともありますが、そんなことからも広大インド、西ベンガルの情景を、村のシゴトを想像していただけるとうれしく思います。


F

 

インドに帰って

インドに帰ってきました。


帰ってきてからあっという間にもう5日も経っていて、日本での日々が遠い昔のようです。マサラやら、砂埃まみれの熱風やら、オートリキシャの運転手の汗のにおいなんかにまみれているうちに、いつのまにやらインドに溶け込んでいきます。


今回の日本ツアーでは、製品がなかなか届かなかったり、イベント前は家族総出で準備しなきゃならなかったり、ハラハラすることの連続で、ずいぶん皆様にもヤキモキさせてしまいましたが、とにかく、何とか、村でつくられたインド布たちを日本のお店で紹介することができてよかったです。(まだ届いていない商品もあったりしますが!)


イベントでお世話になったお店やお客様とも直接いろんなお話をさせていただくことができて、また、いろんなお声をきくことができて、小さなスタートですが、このCALICOの活動をはじめてよかった!と何度も何度も思いました。


これが、インドで、日本で、いろんなかたちで布や衣に似た思いをもった人々を巻き込み、つながっていく、息の長い活動になっていくように頑張らねばと思います。何事も日本のようにスムーズにはいきませんが、それすらも楽しんで、そんな思いを布にのせていきたいものです。


 

F

羊のなる木

こんにちは。ただいま日本行商ツアー中のCALICOです。

 

インド布の歴史のつづき。インダス文明から時代は流れて、紀元前10〜3世紀のお話です。

 

ときのインドは、マウリア朝の時代。綿、羊毛、大麻、麻、絹(当時は中国から輸入)などの織物の生産がされていたようで、紀元前10〜5世紀のヴェーダの教典にもインドの布についての記述がみられます。アレクサンダー大王の東征を経て、インド布はギリシアやペルシアといったヘレニズム世界に広く知れ渡ることになりました。

 

紀元前3世紀、マウリア朝チャンドラグプタの秘書官も、その記録に「織物はもっとも重要な交易品である」と残し、かのヘロドトスは、「インドには羊毛の実をつける木があり、それは羊を超える美しさと素晴らしさだ」と褒め讃えています。

 


上の画は、ヘロドトスが褒め称えたインドの綿。木から羊が生えてきています。想像力が豊かなような、豊かじゃないような・・・。

 

出典:History of Indian Textiles / Calico Museum of Textiles
画像:Wikipedia

 

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ベンガルで想う

ベンガルからデリーに帰ってきました。

 

デリーでは、布や製品の品質管理はもとより、生産や納品のスケジュール、キャッシュフロー管理に追われ、目先にばかりキモチが向かいがちだった最近。(皆様に喜んでいただくため、ご迷惑をおかけしないためにはとても大事なことなのですが。)

 

自由闊達な空気のベンガルに入るといつもそうなのですが、今回も、現地の生産パートナーや、領域は異なるものの現地で素晴らしい活動をしている日本のNGOの代表の方とお話しして、経営者として、布や製品と同じように、事業そのものもこだわりをもって育てていきたいというキモチを新たにしました。

 

布や製品がアートであるならば、事業そのものもアート。(持続のためにサイエンスが大事なのはいうまでもなくです。)そんなことを再認識する、収穫の多い今回のベンガルツアーでした。

 

皆様におとどけする布もすくすくと実りつつあります。CALICOは、布を媒介にして、インドの農村に誇りと持続的な産業をもたらし、日本人に本来備わっていた衣に対する豊かな感性を呼びおこし、生活を楽しんでもらうための事業です。約1年の準備・研究期間を経て、いよいよこの春から活動を本格化していきます。お楽しみに!

 

 

上の写真は、タッサーシルクの糸を紡ぐベンガルの女性達。チャルカ(手紡ぎ車)もガンジー時代からいろいろ進化しています。

 

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インダスのミツバ印

中南米と並び、世界の綿花の原産地といわれるインド。

 

その歴史はとても古く、紀元前5千年から3千年頃には、インダス川流域で綿花栽培、綿織物の生産がはじめられていたそうです。紀元前2500〜1800年ごろのモヘンジョ・ダロ遺跡(現在のパキスタン)では茜染めの布片が出土しており、それが確認されている最古の布片だとか。同遺跡から出土した神官像には、今みても斬新・大胆なミツバ文様の布が刻まれています。

 

 

マジメな顔してポップなミツバ柄の布巻いている、このコントラスト。これは当時一般的な柄だったのか、この神官が好んだトレードマーク(ミツバ印)だったのか。今となっては知るすべもありませんが、現代インド人にも引き継がれる豊かなアソビゴコロを垣間みるようです。

 

出典:History of Indian Textiles / Calico Museum of Textiles
画像:Wikipedia

 

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インド布の歴史 プロローグ

新年あけましておめでとうございます。

 

今日は奈良で、来週の神戸大学でのセミナー「インドの布の世界」に備えて準備をしています。今回、インドの布の歴史を改めて整理してみました。実に実にパワフルです。日本とのつながりも断片的に分かっていたことがいろいろ繋がってきました。

 

インドに布(キャリコ)がなかったら、イギリスも日本も産業が発展していなかったかもしれない

 

インドのようなキャリコを作れるようになることが産業革命の動機になったのです。

 

インドに布(キャリコ)がなかったら、インドは侵略や搾取に苦しまなかったかもしれない

 

17-18cのヨーロッパや日本で人気を博したのは、絹ではなくそれよりも高価な花文様や縞模様のインド綿でした。各国の東インド会社はインドを布の供給地・消費地とし、ヨーロッパの帝国がインドの植民地支配をするきっかけを与えました。

 

では、今、インドに布(キャリコ)があったとして、それはこれからインドやセカイ、ニホンにどんな影響を与えるか。

 

今回、日本に帰ってきて、手紡ぎ・手織りの布をグルグル巻いてくれたひとびとの楽しい表情を思い出すと、何かいい兆しを感じます。そして、機織りの音が幾代にも亘って侵略や搾取に遭い続けたインド人の精神を安定させてきたように、それを使う人の気持ちをも和らげ、美しい調和のとれた生活に欠くべかざるものになっていくような気がしています。これから、ブログでもインドの布の歴史を少しずつ紹介していきます。

 

更紗 17世紀 Victoria & Albert Museum 所蔵

 

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カディーへのおもい


乾期に入った北インドに位置するデリーは朝晩ぐっと冷え込む季節になってきました。インドではこの時期はお祭りや結婚シーズンにあたります。

 

冠婚葬祭は奮発して着飾る習慣が根強く残っているインドでは、サリーを含め豪華な装飾を施し洋装にアレンジした現代版民族調ドレスなどで彩られています。一方で大量生産の洋服も増えて、温もりのある伝統的な装いは廃れつつあります。そんなインドの装いの歴史において無視できないのが、カディーといわれる手紬・手織りの布です。


私を含めカディーに魅せられる人は多いです。かのインド建国の父と呼ばれたマハトマ・ガンディーが当時インドを植民地支配していた英国製の機械織りに対抗し、自分たちでも布を織れるようにと普及に努めた布カディー(Kadhi)は今でもインドの人々に愛され続けています。

 

 

ガンディーが晩年に腰に巻いていた白い布もカディーでした。

 

インドには他の多くの国が失ってしまった古来の文化に根付いた素晴らしい手仕事の技術を持った職人さんがたくさんいらっしゃいます。気の遠くなるような手間ひまをかけて仕上げたものは本当に素晴らしく、芸術品に相当するものも少なくありません。しかし時代の波に押され、短期間で効率的に大量生産ができない上に均一に品質が保てないという理由で敬遠されているのも事実です。

 

こちらに住んで実際にコットン栽培の農家を訪れ畑に綿花の実がなり収穫される様子を見ていると、それらが糸になり生地になり‘洋服’というかたちになって日本のみなさんの手元に届くまでに実に本当に多くの人が関わっていることがわかります。

 

私にできることはインドでカタチにすることとインドと日本の皆さんをつなげるきっかけを作ること。CALICOではモノづくりを通してそれらのプロセスをもっと多くの方々に知ってもらえたらと思っています。

 

 

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カンタ刺繍の村 Muslim Shekh家

ベンガル4日目。2軒目の訪問となるのが、豊かな田園の中にあるMuslim Shekh家。

 

こちらはよく喋る肝っ玉お母さんがすべてを取り仕切っている様子。NGOのアショクさん、買い取り交渉で詰められているようです。笑(アショクさんはバイヤーです)ただただ見守るお父さん。

 

カンタの腕前もピカイチです!

 

地元大学に通うかなこさんにお母さんの作品をきてもらいました。

まさにベンガルの姫。

 

 

お母さんにそっくりな娘さん。

 

なんて・・・女系家族的記念撮影!

 

「ベンガルは関西ぽい」と常々思っているのですが、お母さんには大阪あたりで以前あったことがある気がしてなりません。とってもベンガルらしい、明るいご家庭でした。通常村ではこちらから質問することが多いのですが、ここではお母さんと娘さんが、わたしたちが分かろうと分かるまいと気にもせず、ニコニコ笑いながらベンガル語でたくさん話しかけてくれました。インドにきて灼けて大分黒くなっているのですが、お母さんと娘さんに「白い」「白い」と随分いわれました。

 

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カンタ刺繍の村 Ismile Shekh家

ベンガルツアー4日目。私たちのパートナーである現地NGOのアショクさんと共に、カンタ刺繍をつくってくれるパートナーが住むいくつかの村を訪ねました。

 

まず訪問したのはShekhさん一家。長男、次男、三男と彼らのお母さんと奥さん、子供達、合わせて15人の大所帯でした。それぞれの奥さん、4人がカンタ刺繍をつくっていました。(数が合わないのは長男に2人奥さんがいるからでした。ムスリムの家ではよくある話です。)

 

写真左から次男の奥さん、Sarina Bibiさんと、三男の奥さん、Mariam Bibiさん。

 

Sarina Bibiさんはベンガル語でグリラムといわれるランニングスティッチ(ノクシカンタの場合空白部分に縫われているやつです)、Mariam Bibiさんはチェリ(楔模様の刺繍)やティップ(丸刺繍)などのやや複雑なスティッチが好きだそう。

 

下の写真は、長男の第1婦人 Sahajatikathuさん。州から表彰されたカンタ刺繍暦25年のベテラン。写真は模様の下絵をトレースしている様子。

 

Ariabecomさん。長男の第2婦人。彼女もグリラムがすきだそう。

 

どのカンタ刺繍を選ぶか交渉中の長男IsmileさんとNGOのアショクさん。こちらの家ではカンタ刺繍を商うのは男性の仕事となっています。

 

15人家族を温かく見守るRokiya Bibiおばあちゃんです。

 

女性の部屋にはステキにカゴが飾られていました。用の美。

 

皆で記念撮影。一家の長らしく真ん中に座っているIsmileさん。でも、一番テレていたような。。w

 

最初は緊張していた家族もやがて打ち解けて。談笑する日印女子たち。ユキさんの隣は、今回同行してくれた地元大学で染色を学ぶかなこさん。

 

最後は名残り惜しく。

 

F