手紡ぎ糸の村 アンバーチャルカは手紡ぎといえるのか

昨日ご紹介したアンバーチャルカ。お読みになった方によっては、「ガンジーチャルカじゃないなんて本当の手紡ぎじゃない。」「手紡ぎといってだましているみたいだ。」いろんな感想をお持ちでしょう。

 


でも手紡ぎってなんでしょう。なんのための手紡ぎであり、カディなのでしょうか。

私自身は、ガンジーが独立運動のころに、シングルチャルカ(ガンジーチャルカ)を普及させたのと同じように、現代においては、アンバーチャルカが実用性・効率性から普及されるべきと思っており、その役割を以下のように理解しています。

ひとつは、生産効率が高まることで、関わる人が食べていけるような仕組みになること。一回転でコーンが6つ〜8つ作れるようになることと、手ではなく機械圧縮による押し出しで糸を撚ることにより、シングルチャルカの何倍もの効率で糸を作れるようになります。それはすなわち、出来高で支払われる彼女たちにとって、お給料が増えることを意味します。

 

 

また、均一な仕上げのために、ある一定水準の技術・技量が要求されたシングルチャルカに比べると、アンバーチャルカはだれでもが一定品質で糸を作れます。(もちろんアンバーチャルカも技術を要しますが。)それは農村での就業機会が増えることを意味します。

 

40カウントの太糸を紡ぐ女性。

 

また、私たちにとって、カディ糸を安定的に一定の基準で作れることは、生地品質の安定を意味します。このようにしてつくられたカディ糸は、緯糸だけでなく縦糸としても使うことができます。(日本に普及している手紡ぎ・手織りカディは、緯糸のみ手紡ぎでカディと呼ばれているものものが多いですが、CALICOのカディはほとんどのものが、縦糸も緯糸も手紡ぎです。)シングルチャルカはその姿としてもとても美しいものではありますが、それだけで上述にあるようなすべてを実現することは遠い理想になりつつあります。

 

しかし、今回の訪問で最も衝撃的だったのは、最近モーターを取り付けたアンバーチャルカが、村の個人企業の中で普及しだしているとのこと。それはもはや手紡ぎではないと私ですら思うのですが、関わる女性たち(糸も手回しに比べると切れにくいのですが、切れたら直すために配置されている)の収入がまた手回しの倍になることを考えると、誰もその流れを否定することはできません。ソーラーパネルをつけたソーラーチャルカというものでてきています。とてもいいことだと思います。

 

とうとう、出会ってしまった。電動アンバーチャルカ。

でもどうやらうちではほとんど使うことのない、太糸しかできない様子。(ホッ)

 

 

ガンジーチャルカがアンバーチャルカに置き換わった変化に比べると、手回しと電動に、どれほどの違いがあるのか。悩ましいところです。ただ、それを手紡ぎと偽って市場に出してしまうと、アンバーチャルカを導入しても尚、保たれてきた手紡ぎ・手織りカディの価値そのものが、市場での信頼を失うことになりかねないかと危惧します。

(つづく)

 

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