ペルシアの職人とイスラム商人 グジャラート州アーメダバードより

先日ちょうどタイミングよくインドにいらした京都ジャワ更紗ISISの石田さんと共に、織都アーメダバードのCALICO博物館を再訪してきました。


前回オリッサと東南アジアのつながりについて少し書かせていただきましたが、CALICO博物館のあるグジャラート州もインドネシアの王様から受注を受けて、有名なパトラという絣の技法で獅子模様などを織っていたとのこと、それらに影響を受けて東南アジアでもイカット(絣織)が織られるようになったのではないかと考えられているそうです。インド布の伝播力は当時からすごかったのですね。


CALICO博物館では、写真が撮れないことも幸いして、とにかく素直に感動し、興奮し、よく目にやきつけてきました。ブロックプリントが広く普及する以前の気の遠くなるような織や刺繍の技術。今はこうした手仕事の職人が仮にいたとしても、誰がオーダーをかけるでしょうか。現代では成功者はポロシャツにジーンズを穿いていますものね。そうやって技術や伝統が廃れていってしまうのは嫌だと思いました。

 

今回は前置きがとても長くなりましたが、今日は、そんなアーメダバードとも関わりの深い、ペルシアの職人とイスラム商人のお話です。7世紀、預言者ムハンマドが出現してからインドにもアラブの時代がやってきます。アフガニスタン、バルチスタンに続くペルシア帝国が没落し、アラビア海軍が現在のパキスタンやグジャラート州周辺に現れるようになりました。


実は、インド布に関して当時の歴史資料といえば、14-15世紀頃の綿布片がエジプトの諸都市で見つかったことくらいしかないのですが、13世紀トルコ・アフガン勢の支配下にあった北西インドに、モンゴル帝国が中央アジアを征服すると、ペルシア帝国から脱出した職人たちがインド大陸に流れこみ、デリースルタン王朝の庇護の下、ペルシアの影響の強い様々な文化が開花したそうです。


今でもインドでは、政府が手織産業・手仕事産業を保護・育成する側面を強くもっていますが、当時も官製の工房“Kharkhanahs”が各拠点に設立され、数多の私設工房と並んで生産を行っていたのです。


今私たちがインド的と思ってみている唐草模様や花柄の刺繍模様などは殆どこの当時のペルシアの職人がもたらし、ムガール帝国の財力を背景に確立されたといっても過言ではありません。それは刺繍職人や刺繍の贅沢を味わう身分の為政者がいなくなった後もブロックプリントのデザインとして引き継がれていったのです。


またその頃、ベンガルとグジャラートで生産された織物はHindus(現在のパキスタン・北インドの人々)の手によって東南アジアに輸出されていましたが、やがて、イスラム商人たちの手にゆだねられることになりました。それによって、イスラム文化が東南アジアに拡散していき、東インド会社が設立されるまでの数百年間、イスラム商人たちが東南アジアの香辛料をヨーロッパに輸出する中心的な役割を担うことになるのです。



写真はCALICO博物館。グジャラート州アーメダバードにあります。注:事前アポイントが必要です。

Source: History of Indian Textiles by Calico Museum of Textiles

 

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