バングラデシュ LIVING BLUEと共に

ベンガルツアーの後半。インドの西ベンガル州を後に、お隣のバングラデシュにきています。CALICOのイベントでもお馴染みとなっているLIVING BLUEの生産現場を訪ねるためです。私にとっては2回目、5年ぶりのバングラデシュ訪問です。

 

LIVING BLUEのミシャエルと出会ったのはデリーのとあるイベントで。一面にインディゴ色と美しいカンタ刺繍に埋め尽くされた彼らの表現に圧倒され、日本でもこんなの見たことがないと鳥肌がたったことを覚えています。

 

それから、LIVING BLUEとCALICOのコラボレーションがはじまりました。彼らの製品を日本人に合うサイズにしたり、糸色や素材などのディテールを一緒に考えて変更したり。今年の夏はRongoというブランドで藍の板締めのゆかた布をご紹介しました。(もちろん来年もご紹介予定です。)

 

 

LIVING BLUEは、そもそもインド人のデザイナーさんとRangpurの地元の人たちで藍の栽培を復活させ、藍染を始めたところからはじまりました。

その昔、バングラデシュの藍は、Indigofera Tinctoria “True Bengal”といわれ、濃い色や高い定着率が評判でした。それを固めた藍片は、商品として欧州で取引され、通貨的な価値をもつこともあったそうです。ただ、英国の植民地化以降は搾取の手段として、藍栽培が強いられ、藍産業は戦後急速に衰えたといわれています。

 

写真は藍の種。


しかし、肥沃な土壌に藍栽培は合うようで、近年国際NGOのCAREが地元政府、LIVING BLUEの前身の社会企業と共に、政府の土地の貸出し、藍栽培の奨励政策を打ち出し、地元農民がメインの農業(主に米の二毛作)の他に収入を得る手段として藍栽培をはじめました。年間で約200ドルもの副収入になります。だいたい二毛作のタイミングと被らない4月、5月に種まきをして、6月に収穫するそうです。(他の時期でも収穫できるそうですが、搾取の歴史があるため、あまり無理な栽培の奨励はしていないとのこと。)今では110の周辺の村で栽培をするまでになっています。

 

よく日本人が技術指導したのですか、と聞かれますが、教えてもらうことはあっても、教えることは殆どないのです。彼らがアラシ、マクマと呼ぶ日本の伝統的な染めの技法を、インド人のデザイナーさんが確立し、村の染め職人さんや縫い子さんたちがそれを実現してきたのでした。(但し、そのデザイナーさんは、各出資者や村の人たちと一緒に同じペースで、特に資金的に続けていくことが難しく、とうに退いてしまったそうです。)

 

そこでCAREが中心的な役割を担い、人と資金を拠出して、今日まで発展させてきたのです。今はCAREが過半数を出資するも、徐々に現地にコントロールを移管しつつあります。

 

LIVING BLUEの成功には、CAREが導入した管理システム(納期や品質を徹底的にコントロール)があります。きちんと厳しく評価され、行き当たりばったりではない、取組みが多くのインドの団体と違います!CALICOもパートナーとして、日本での販売の結果や展望について説明責任を負っています。そこにはいい緊張感があり、だからこそいいものが生み出され、継続していくのだと思いました。

 

また、この取り組みによって、都会に仕事を求めていたひとたちが、その在り方を再考するきっかけにもなっているようです。都会に出て、僅かなお給料をもらっても、劣悪な住環境にも関わらず家賃や生活費は高く、家族と離れて暮らすのは不幸だと思う人々にとって、こうした地元や自宅で、都会の倍もの収入を得られる取り組みは希望そのものです。

 

こうした取り組みが拡がるお手伝いを微力ながらCALICOも続けていけたらと思っています。

 

村で刺繍をする女性たちと小林(写真 中央)。後中央は、LIVING BLUE/CAREのミシャエル。右は見学にきたドイツの開発機関のインターン2人。彼らからいろいろバングラデシュのことを学び、とても楽しい旅でした。

 

 

(つづく)

 

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